裁判にいたるまでの経緯

■Bからのつきまとい

 

1999年2月頃

原告が当時交際していたBとの交際を解消しようとしたところ、Bの原告へのつきまといが始まる。

 

3月8日

原告がBから平手やこぶしで多数回なぐられる暴行を受け、加療43日間を要する重傷を負う。(傷害事件)

 

4月

原告はBに明確に別れを告げ、その後転居。しかし、Bからのつきまといは続く。

 

7月26

Bが原告宅に押しかける。怒鳴りながら原告宅のドアを叩いたり蹴ったりした上、投石して原告宅の窓ガラスを割った。(器物損壊事件)

 

10

Bから原告に、「器物損壊事件を起こしたのは、原告の態度が悪かったためである」など書かれた手紙が送られてくる。

 

1018日頃

原告が友人から、Bが発行したミニコミ誌「月刊B」を受け取る。原告に対する報復の意味を込めて、「今後は原告との問題については原則として実名入りで報道する」と記されていた。

 

2000年3月23

Bがミニコミ誌の誌上にて、実名入りで原告のプライバシーを暴露。東京のミニコミ誌専門の書店の店頭で販売する。

 

5月8日

Bがストーカー加害者として雑誌「AERA」の取材に応じ、5月15日号に実名で登場。原告の実名は出なかったものの、原告とBの関係を知っている者が読めばすぐに原告のことであるとわかるように、原告のプライバシーを暴露した。原告は弁護士を通じて「AERA」に抗議、「AERA」は謝罪記事を掲載した。

 

20001225

Bが傷害事件で起訴される。

 

2001年8月27

Bに懲役10ヶ月の実刑判決が出る。Bは判決を不服として控訴したが、棄却される。

 

1016

原告がBに対して起こしていた民事訴訟の判決が出る。Bのつきまとい等の行為によって平穏な生活が脅かされていることを認定。Bによって行われたプライバシーの侵害については、「かかる事実が、被告により、雑誌及びミニコミ誌等で公表されたことは、原告にとって、名誉が毀損されるとともに、不快感、屈辱感を抱くものであり、原告は、被告の上記行為により、重大な精神的苦痛を被ったものと認められる」と認定。Bに100万円の損害賠償。Bは、判決を不服として控訴したが、棄却された

 

■被告記者とのやり取り

 

2021年2月19日~3月5日

西日本新聞朝刊に「自称革命家 Bの戦い」(全7回)が掲載される。(原告は後に知る)

連載第4回目では、原告の実名は出さないものの、1999年3月8日の傷害事件とその判決について記載。「B君が一方的に悪いとは思わなかった」とのBの友人のコメントを掲載した。

さらにBが、傷害事件によって起訴され処罰されたことを、あたかも自分こそが被害者であるかのように表現した文章を、無批判に引用した。

 

3月24

Facebookメッセージにて、被告記者から原告に取材依頼がある。原告と被告は一面識もなかった。

この時初めて原告は連載記事のことを知る。自分の全く知らないところで、被害を受けた傷害事件が記事になっていたこと、さらにその内容が加害者であるBを擁護する内容であることにショックを受ける。

 

3月21

以下の4つの条件が守られることを前提として、原告が取材を受けることとする。

 

4月3日はI Cレコーダーでの録音やメモを取ることはせず、その間見聞きしたことは決して他言しない。

②原告が取材を受けてもよいと判断した時点で、録音やメモ取りを行う。

③本の中で原告の事件を取り上げる際には、細心の注意を払いつつ中立であるよう努める。

④編集者と相談の上になるが、原告が登場する箇所に関してはゲラ、または原稿を見せ、発言内容が異なる箇所や書かれると差しさわりのある事柄については修正を行う。

 

被告記者は、原告に宛てたメールで「事前にお約束した1〜3に関しては固くお約束いたします。4については編集者への確認が必要ですが、筆者の私の意向ですので問題なくお見せできると思います」と回答して、4つの条件を守ることを約束。

一方で、被告記者は原告の被害を軽視する言動を繰り返し、原告は心身の不調をきたす。

詳細は原告の陳述書(概要)参照のこと

 

3月31日頃

原告が被告記者のことを友人知人に相談。被告記者が原告にFacebookメッセージを送ってくる以前に、原告の友人や知人に電話をかけ、原告の電話番号や住所を聞きだそうとしていたことが判明。ストーカー加害者と近しい関係にある人物が、電話番号や住所を聞き出そうとしていたことに恐怖を覚える。

 

4月3日

原告と被告記者が被告西日本新聞本社の会議室で会う。当初は被告記者が出版にあたっての思いなどを語っていたが、途中から原告のプライバシーに関わる事柄を質問し始め、なし崩し的に取材を受ける事態となった。

 

■被告西日本新聞社とのやり取り

 

5月9日

被告西日本新聞社のC部長に対し、原告が抗議と要請の文書を送り、以下の要請を行う。

 

①記者に対しては、事件加害者の一方的な主張のみを書くのではなく、被害者側にも取材をした上で、事実を正確に書くことを求めます。

②事件に関する記述については、取材対象者に原稿とゲラのチェックをさせることを求めます。

③貴社に対しては、上記について記者と情報共有し、記者が適切に遂行できますよう、指導とサポートを求めます。

④記者の記事からもわかるよう、加害者(B)は事件について反省も更生もしていません。私や私の周りの人が取材に応じたことが加害者にわかれば、何らかの身体的、精神的、あるいは名誉に関わる被害を受ける可能性があります。貴社は記事を掲載した責任として、記者と情報共有し、取材対象者の安全確保に最大限努めるよう求めます。

⑤今後、犯罪被害者や性暴力サバイバーなどの名誉や人権に配慮した取材が行えるよう、社として記者の皆様にしっかりと指導や教育をしていただくよう求めます。

 

5月1118

C部長からメールにて原告に返信。「1〜5のご要望について、私どもも真摯に受け止め、最善を尽くします」と原告に約束する。

原告が「1、2については既に記者と約束済みです。貴社に求めますことは、この1、2が確実に履行されますよう、記者と情報共有し、記者に対して指導を行なってほしいということです」と求めたところ、C部長は「おっしゃる通り1と2が履行されるよう、記者と情報共有し、Aさんの思いに配慮するよう指導します」と回答した。

半面、原告が問題があると指摘した被告記者の言動については、メールの中では一言も触れられておらず。原告が問いただしたところ、C部長は「Aさんと記者の主張が食い違っており、答えるだけの材料を持ち合わせません」「記者はこう申しております」と、被告記者が書いた、原告を非難する文章をそのまま「コピペ」して送り付けてきた。

原告はC部長とこれ以上やり取りをしても理解は得られないと感じ、メールのやり取りを打ち切る。

 

9月8日

原告が弁護士事務所を通じて被告西日本新聞社の法務広報部に文書を送り、西日本新聞社の第三者機関である「人権と報道・西日本委員会」での審議を申し立てる。二日後、法務広報部のD氏から、文書など受け取った旨の連絡がある。しかし、その後は「人権委員会への申し立ては初めてなので、手続きがわからず時間がかかっている」等の理由で遅々として進まず。

 

11月5日

D氏から「委員会の開催は年明けになる」との連絡がある。

 

12月3日

原告が西日本新聞社を訪問。D氏と面会して、以下のことを要望。

一つ目は委員会の日程を繰り上げること、二つ目は記者にゲラを見せる等の約束を守らせること、三つ目は本の進捗状況を記者に確認すること、四つ目は西日本新聞社が原告と記者の仲介に入ること。(二つ目と四つ目は、既にC部長が原告に「真摯に受け止め、最善を尽くす」と返答している事柄)

 

12月9日

D氏からメールにて回答がある。委員会の日程は「早めることはできない」、本の進捗状況については「出版スケジュールは確定していない」、その上で「記者は『社外業務に関して新聞社は関係なく、私と出版社の問題です。お尋ねやご意見があれば●●(出版社)にお寄せください』との主張です」と伝えるのみ。

 

1223

原告が西日本新聞社を訪問。D氏と二度目の面会。

西日本新聞社が掲げる人権方針に基づき、C部長が「真摯に受け止め、最善を尽くす」と言った5項目を履行するよう、文書で申し入れを行いましたが、D氏からはあいまいな返答しか得られず。

 

2022年1月6日

被告西日本新聞社が、原告に宛てたメールで「記者によると、原稿は近々(時期未定)出版社に提出する予定で、通常であれば4、5月に発刊される見通しとのことでした。A様が求めているゲラの修正については『取材に応じるとの条件が履行されていないのでゲラを見せるつもりはない』との主張です」と伝えるのみ。

 

3月29

事態を重く受け止めた原告の友人たちが連名で、西日本新聞社に対し「Aさんと誠実に話し合い、最善の努力を尽くす」ことを求める嘆願書を提出する。D氏からは嘆願書を受領した旨伝える、事務的なメールの返信があったのみ。

 

4月20

D氏からメールにて、委員会での審議が「終了した」との連絡あり。

 

6月3日

原告が委員会での審議をまとめた「見解書」を受け取る。

被告記者の言動やC部長の対応については、「記者個人の単著執筆に関わる事情」なので「当委員会の判断対象外」であるとして審議すらされておらず。一方で、「社外業務であったとしても、本件報道をベースにしている可能性があるだけでなく、西日本新聞社の部屋を使ったり、名刺を用いたりなどして、記者が社に対する信頼を背景に社外業務を行っているのだとすれば、安易に西日本新聞社と切り離して考えることも適切ではない」といった一文もあり、被告記者の行動に問題があり、被告西日本新聞社も無関係ではないことは委員も認識している。

当該記事の問題点については、原告の申立書の言葉じりを捉えて曲解するような内容。

また、「見解書の作成と公布に関して」によると、「審議には西日本新聞社の担当者が同席」し、「委員から発問があった場合」には「司会の許諾を得て発言が許可」されたとある。だが、当事者である原告への聞き取りは一度も行われていない。

これを不服とした原告は異議を申し立てようとするが、D氏は「西日本委員会の審議に異議申し立て制度はございません」と門前払いする。

 

6月~12

原告が委員会の見解書の内容に抗議し、西日本新聞のwebサイトに掲載されている当該記事の削除や、C部長が「最善を尽くす」と言った5項目を実現することなどを求め、数回に渡り文書を送る。

この頃には人づてに一連の事態を知り、当該記事や被告記者の言動、C部長の対応、委員会の見解書は「DV・ストーカー被害者への二次加害ではないか」と考える人たち十数名が賛同人として名を連ねるようになる。しかし、被告西日本新聞社は「問題とされている書籍は、記者と出版社に著作権があり、弊社が両者の権利を超えて対応することはできません。もっとも、要請事項については、すべて記者に伝えておりますのでご理解下さい」「両名を含めて弊社としては誠実に対応しており、お話してきた以上のことは申し上げることはございません」との回答に終始する。

 

2023年1月25

原告に対する十分な取材や、ゲラや原稿を事前に確認する機会が原告に与えられないまま、被告記者の書籍「人民の敵」が刊行される。

 

書籍には、原告が他人に知られたくない、極めて私的な事実が記載されていた。被告記者自身、書かれると差しさわりのある事柄については修正を行うと約束していたにもかかわらず、被告記者が原告に対してゲラや原稿を事前に示さず、被告西日本新聞も必要な措置を講じなかったために、原告はプライバシーが侵害され名誉が毀損され、訴外Bからの加害行為に関して二次被害を受け、重大な精神的苦痛を被った。